
「空手は一撃必殺」 とても聞こえの良い言葉です。 では一撃必殺とは、いったいどういった状態のことをいうのでしょうか? また空手は一撃必殺を実現できるのでしょうか。一撃必殺について深堀していきます。
目次
空手における「一撃必殺」の定義は?

空手では、一撃必殺と言うことをよく言われます。
まず、「一撃必殺」という言葉の定義ですが、
どんなことを行い、相手がどうなるか、を論じなければなりません。
例えば、相手の両眼に指を突っ込んでしまえば、相手はもう戦えません。
金的を握り潰せば、相手はもう動けません。
喉を突いてつぶしてしまえば、最悪相手が死ぬかもしれません。
相手の顔面やあごを打ち抜けば、もちろん倒れるでしょう。
確かに一撃必殺ですが、果たしてこれは、皆さんが目指すところの一撃必殺でしょうか?
空手が唐手だった時代では、これもアリでしょうが、
そこまでしないと相手に勝てないと言うようでは、武術家として空手に取り組むには、あまりに稚拙な動機です。
強くなりたい、喧嘩に勝ちたい、という思いで空手を始めたとしても、たぶん、こういったある意味切羽詰った、余裕の無い空手を体現したいとは思わなかったはずです。
こんな勝ち方だったら、喧嘩に慣れていけばよいだけです。武術を習う必要なないでしょう。
皆さんが思っている勝ち方、空手の体現の仕方は、たぶん、違うと思っています(そう思いたいです)。
私の場合で恐縮ですが、私は強くなりたかったですし、もっと余裕が欲しかったです。
出来れば、どんな相手が来たとしても、あせらず騒がず、軽くあしらうような、達人的な強さが欲しかったです。
もちろん空手の習い初めは、急所を覚えたり、急所攻撃の仕方を練習したりすることはありました。これは武術として当然のことと思います。
ですが、10年くらい空手をやっていると、急所攻撃をしないと勝てないようでは、自分自身に余裕が感じられないと思うようになりました。
急所攻撃も知りつつ、他に技の引き出しをたくさん持つことで、余裕を持つことが出来るようになりました。
ここまで来た私が今考える一撃必殺とは、
「相手が万全の体勢で構えているにも係らず、相手の胸や腹に一撃を入れると、その場でうずくまってしまい、動けなくなるほどの拳での打撃」
と考えています。
つまり、明らかに体の大きな筋肉の塊のような相手に対して、一発で効いてしまうような突きを打ちたいわけです。
これは理想論であり、妄想的になってしまいますが、やはりこういったことを空手は目指しているように思います。
こんな理想を目指すことで、毎日の突きの稽古に励むことが出来、現実的にこんな理想的な一撃必殺が出来なくとも、日々の稽古でかなりの威力になっている、といった状態を作り上げることが出来ると私は思っています。
と言うことで、一撃必殺の定義をまとめますと、
「相手が万全の体勢で構えているにも係らず、相手の胸や腹に一撃を入れると、その場でうずくまってしまい、動けなくなるほどの拳での打撃」
と言うことにします。
さて、そんな理想的な、マンガのような突きを、果たして空手で身につけることが出来るのでしょうか?
空手は一撃必殺を実現出来るのか?それとも単なる妄想なのか?

空手は一撃必殺の実現を目指す武術である、と私は考えます。
空手から、一撃必殺を取ってしまうと、それは空手ではなくなるとさえ思っています。
空手は中国武術が起源であるといって、間違いないでしょう。
中国武術が沖縄へ伝わり、年月を掛けて沖縄独自の発展をしたものが唐手です。
唐手と中国武術では、決定的な違いが一つあります。
それが一撃必殺と言う考え方です。
中国武術は、どちらかというと、多撃です。
一撃で倒そうと言う考えがあまり無いように思います。
八極拳では「2の打ち要らず」なんて言いますが、これは一撃必殺という意味ではなく、とても強い打撃ですよ、という意味です。初めから一撃で倒そうとは思っていません。
私の知る八極拳は、次から次へと打撃を入れていくものです。
空手の一撃必殺とは、拳風が全く違います。
また、詠春拳では、砂袋を壁に設置し、それを叩く練習方法がありますが、これも一撃必殺を目的とした物ではなく、連打を養成するものだと思います。
思いっきり打つには砂袋が薄すぎますし、一打一打ではなく、連打で練習しています。
ですから、やはり空手のような一撃必殺ではないと思います。
さて、この一撃必殺という考えがいつから始まったか、ですが、
これは松村宗棍からでは無いか、と言われています。
なぜなら、松村宗棍はあの有名な薩摩の示現流剣術の免許皆伝者だからです。
示現流剣術は、その初太刀に総てをかける、といわれるほど、一回の打ち込みに全力を掛けます。
この示現流の稽古方法に、立木打ちというものがあります。
こちらの動画を参考にしてください。
示現流の稽古では、一人稽古が基本で、これを1日に何千回と繰り返し、打撃力を養います。
これはもはや斬る、では無く、打つ、ですよね。
この威力で斬られたら、ひとたまりもありません。
この立木打ちにヒントを得て、松村は巻藁を開発し、それが現在も伝わる巻藁突きの稽古だといわれています。
現在も沖縄空手では、巻藁突きは必須の稽古です。
一人で黙々と巻藁に向かいます。
その稽古姿はまるで、示現流の立木打ちそのままです。
剣が拳に変わり、立木が巻藁に変わった。
拳を傷めず毎日稽古でき、拳を鍛えることと突きの威力を鍛錬する。
この巻藁の完成は、唐手が中国武術から完全独立した転換点だと私は考えます。
まさにここがシンギュラリティー。
ここに、本当の意味で沖縄唐手が誕生したのです。
松村宗棍が武士松村といわれたり、沖縄の宮本武蔵とか、唐手の天才といわれたりする所以です。
松村が開発したこの巻藁突きですが、日々鍛錬することで、一撃必殺の突きが鍛錬できるようになります。
有名な例を挙げましょう。
本当に一撃で相手を倒せる突きが打てるのか。
松村宗棍の弟子として有名な糸洲安恒を例に挙げます。
これは以前、私が書いた記事です。
糸洲は、当時稀に見る突き手であった、という事です。
糸洲安恒は、武勇伝こそほとんどありませんが、
師の松村宗棍は、糸洲の突きだけは高く評価していました。
また、糸洲の弟子、知花朝信の例です。
米軍基地での空手演武を行ったとき、屈強なレスリング経験者を舞台に上げ、タックルしてきた相手の腕を前腕で打ち払ったら、叩かれた兵士の腕は瞬く間に紫色にはれ上がったそうです。
前腕を打ち払っただけで、腕が紫色にはれ上がるくらいですから、トンでもない威力です。
部位鍛錬については、巻藁とは書いてありませんが、この当時の空手家が巻藁突きを行っていないはずはありません。なにしろ糸洲の弟子ですから。
前腕を鍛錬する方法として、巻藁に打ち付けることがありますが、それを行っていたかもしれません。
前腕を鉄のように鍛える、と言うのが、知花の教えです。
どうやったら一撃必殺の突きが出来るようになるのか

と言うことで、一撃必殺の突きを養成するための稽古方法。
それはつまり巻藁突きです。
これを日々稽古することです。
そのためにも、まず巻藁を設置することですね。
またやり方があるので、正しい方法を師匠から教わることが大事です。
巻藁については以前詳しく記事を書きましたので、合わせてお読みください。
歴史資料

以前も紹介したこの絵。↑
これは、空手の歴史的資料として良く知られる「南島雑話」という古書の中にあります。
南島雑話 http://bunkaisan-amami-city.com/archives/1080/nggallery/page/3
これは上記リンク内、写真2段目の一番左側にあります。

続いて、巻藁を突いている図、これは「南島雑話下書」にあるようです。
作者は名越左源太。
名越左源太は、嘉永2年(1849)に起きた薩摩藩のお家騒動(高崎崩れ、お由羅騒動)に連座したとして、奄美大島に遠島されます。嘉永3年(1850)から安政2年(1855)まで、5年間にわたり、奄美大島に流刑されていました。
嘉永5年(1852)、流刑中の名越左源太に「嶋中絵図書調方」の役目が命じられましたことから、この南島雑話が書かれることになります。
さて、
松村宗棍は1809年~1899年。
1852年と言えば、43歳です。
松村は、成人してから薩摩に派遣されて、そこで示現流と出会います。
成人ですから20歳だと仮定して、そこから示現流を習い始めて免許皆伝にまで行くわけですから、ある程度年月が掛かると思います。
南島雑話が書かれた1852年、松村が43歳の頃であれば、示現流免許皆伝であってもおかしくありません。武士松村といわれたほどの腕の持ち主ですから、もっと早く皆伝になって、既に巻藁突きを完成させ、首里の武士の間では広く行われていたと思われます。
この南島雑話のこの挿絵と時代的にも符号しますね。
南島雑話は、沖縄地方の生活、風俗、習慣、植物や動物等、この地方独特のさまざまな事柄を選んで書かれています。
巻藁突きは、作者の名越左源太から見て、沖縄独自で珍しいと感じたからこそ、描かれたものでしょう。
他では見聞きしないからこそ描かれたのであれば、やはり沖縄唐手独自の稽古方法だと言えます。
巻藁は沖縄唐手を沖縄唐手たらしめる唯一無二のものだといってもいいでしょう。
参考までに。
まとめ

以上、まとめますと、空手は一撃必殺を旨とする拳法だということです。
そしてその稽古方法は、巻藁突きです。
この巻藁は、沖縄唐手独自の稽古方法で、中国武術から唐手への転換点だったと思います。
示現流剣術の一撃必殺の剣を、唐手の一撃必殺の拳として、その稽古方法を取り入れた松村宗棍はやはり天才です。
近年、試合重視の空手が主流になったため、型の稽古や組手でもいかにして点数を稼ぐか、に重点が置かれています。
巻藁突きを日々の稽古で取り入れている道場が少なくなりました。
空手(唐手)の原点である巻藁突き。
沖縄の空手家達は、今も巻藁突きを日々行っています。
伝統派やフルコン系の空手家の皆さんはいかがでしょうか?