本当のナイハンチ(ナイファンチ)はどれだ!?

本当のナイハンチはどれだ? 考え方

首里手系の空手で、最も重要な型はナイハンチですが、
実は大きく分けて2つの種類があります。
今回の記事では、それぞれのナイハンチを検証することによってその違いを明らかにし、
本来のナイハンチはどれなのか?を私独自の解釈で迫ってみたいと思います。
どうぞお楽しみください。

 

ナイハンチとは?

ナイハンチ(特にナイハンチ初段)とは、左右同じ形で表演される、短い空手の型です。

首里手系の空手では、ナイハンチに始まり、ナイハンチに終わる、と言われています。

ナイハンチは一生掛けても終わらない、とか、全ての基本はナイハンチだといわれたりもします。

とにかくナイハンチはもっとも重要な型だという位置づけです。

その最重要の型、ナイハンチですが、実は各空手会派によって、若干形が違っています。

重要な型であるにも係らず、違いが出てくるということは、いったいどういうことなのでしょうか。

私たちは、どのナイハンチを練習すれば、一番よいのでしょうか。

 

ナイハンチはいくつある?

それぞれやり方の違うナイハンチがいくつあるのか、いろいろと調べましたが、

どうやら大きく分けて2種類あると考えられます。

一つは、松村宗棍の教えていたナイハンチの系統。

もう一つは、糸洲安恒が教えていたナイハンチ系統です。

そしてその具体的な違いは、

  • 立ち方が違う(つま先の向き、膝を外に張るか、内にすぼめているか)
  • 手の形が違う(掌が上を向く背刀受け、掌が前を向く背手受け)
  • 鉤突きか、肘を真っ直ぐに伸ばす突きか。
  • 波足のときの着地、静かに行うか、踏みつけるか。
  • 諸手突きの角度、水走りか、やや上を向くか。

以上5つの違いがあります。

また、本来の古伝の型は、開手で行っていたらしいですが、すでに失伝しているため、詳細は分かりません。

この情報は以下のサイトから引用しています。

「本部流のブログ」https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12435811757.html

ナイハンチの違いについて、これ以上詳しい記事はここよりほかにありません。

このブログを読んでもらえば、ナイハンチの違いについてはほぼ全て分かります。

そのほか、ナイハンチについてのさまざまな記事が書いてあるのですが、そのほかの記事もまさに秀逸とも言うべき内容です。

時間があるときにでも是非読んでいただきたいブログです。

さて、上記した5つの違いですが、

私がここで一番気にしていることは、立ち方についてです。

 

立ち方の違いで、全てが変わってしまう

松村系では、ほぼ騎馬立ち(馬歩に近い)。

糸洲系では、サンチン立ちとほぼ同じです。

立ち方が違えば、体の使い方が変わってきます。

同じナイハンチといえど、これでは型が持つ理論が変わってしまうと思います。

一般的に普及しているのは、糸洲系のナイハンチの立ち方です。

もともとは、松村が教えていた、左右の歩幅が約一尺五寸の騎馬立ちだったはずです。

これは本部朝基著「私の唐手術」にも書いてあります。

騎馬立ちからサンチン立ちに改変した糸洲安恒。

松村に師事した糸洲でしたが、いったい何があったのでしょうか?

その理由について、この「本部流のブログ」によれば、

糸洲安恒は「那覇手6割、首里手4割」だったそうで、

ナイハンチにサンチンを加えて改変したとか、松村を超える為に型を改変したと考えられる、という考察をしています。https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12257488050.html

また、別の記事では、

糸洲が空手(当時は唐手)を学校の正科として採用してもらう為、一考を案じ、型を体操として改変をし、正科採用後、元に戻すつもりだったのではないか、という考察も書かれていました。https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12457844431.html(個人的には、この記事の内容は秀逸だと思っています。素晴らしい考察です)

重要な部分を以下引用します。

こうした改変は一時的なもので、唐手が武術として正式に正科採用されるようになれば、糸洲先生は元の型に戻すつもりだったかもしれない。なぜなら、「糸洲十訓」に、「唐手はそのまま保存し潤色を加えてはいけない」という文言があるからである。しかし、文部省の方針が変わる前に、糸洲先生は病床に伏し、やがて亡くなった。


一方、屋部先生はもとからピンアンや改変型には興味がなかったから、糸洲先生亡き後、師範学校ではこれらの型は教えなかった。放っておいても、やがて自然消滅するだろうと考えたのかもしれない。しかし、糸洲先生から改変型を教わった生徒たちが、改変されたという事情をよく知らずにその後これらの型を広めていって、既存型から大部分が置き換わり、やがて改変されたという事実そのものも忘れ去れてしまった。そして、唐手が武術としてではなく体操(唐手体操)として正科採用されていたという事情も記録に残されなかった――。

本部流のブログ  https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12457844431.html

これは一理あると私も納得した仮説です。

一連の記事を読むと、ナイハンチの変遷、かかわっている人々それぞれの思いも考えさせられる、非常に感慨深い、大変素晴らしい記事となっています。

是非ご一読ください。おすすめです。

「本部流のブログ」

 

ナイハンチのやりやすさから判断して

空手 蹴り 技

ナイハンチのやりやすさを、実際に私(ごときです)が検証してみたいと思います。

ここからは私の独自の解釈によるものです。

前述したように、ナイハンチには大きく分けて2種類ありました。

  • 松村系を代表して、本部朝基のナイハンチ、
  • 糸洲系を代表して、小林流のナイハンチ、
  • 更に、「本部流のブログ」を参考にし、屋部憲通の写真にあるような、四股立ちのナイハンチ、
  • そして、松涛館の鉄騎初段、

以上4つのナイハンチに分類し、それぞれそのやりやすさを、私なりに検証してみました。

あくまで私個人の感想ですので、批判的なコメントはなしでお願いします。

私は伝統派空手とフルコンタクト空手、沖縄空手を習いました。

ですから、習ったナイハンチは2つです。

一つは松涛館の鉄騎初段、もう一つは沖縄小林流のナイハンチです。

他の型については、書籍や動画を参考にしてやるしかありません。

それでもある程度は真実に迫っていけるのではないでしょうか・・。

鉄騎を検証

私が今まで思っていた素朴な疑問をそのまま書きます。

まず鉄騎初段ですが、

なぜあんなに速いスピードでやらせるのかが不思議でした。

速さを尊ぶ、とはいっても、明らかに無理のある速さです。

型の試合を見ても分かりますが、思いっきり力んで無理しているのが見え見えです。

あの動作にあの速さですと無理があるため、私も力んで一生懸命速くしているだけでした。

自然な体の動きに反して速く動かそうとしているとしか思えません。

鉄騎の動作全てが、無理のあるものではありませんが、明らかに常軌を逸した速さを求めていると私的には思っています(協会を批判してます・・・)。

早ければ良い、と言うものではないと思います。

小林流空手では、一つ一つをしっかり区切って、それを素早く行います。

伝統派のような、いくつかを繋げてとにかく素早くやる、と言う練習はしません。

また、鉄騎は歩幅が広すぎだと思っています。

沖縄のどの流派にも、あんなに歩幅が広いナイハンチはありません。

同じ伝統派でも、糸東流(内歩進)や和道流(ナイハンチ)では、あのようにおかしな速さを求めず、しかも歩幅は、小林流と同じようにちょうど良いものでした。

以上を考えると、

松涛館の鉄騎初段は、とてもやりにくく、また、そのままでは実戦で使えない為、なにかしら応用を考えなくてはならず、いろいろと不満のあるものでした。

それだけに、一生掛けても終わらないのかな?とひそかに皮肉っていましたが・・・。

あくまで私の意見ですので・・・。

小林流ナイハンチを検証

さて次に、小林流ナイハンチです。

これは、知花朝信(小林流開祖)のナイハンチですので、「本部流のブログ」にもあったように、松村系とは立ち方が全く違う、糸洲系のナイハンチとなります。

これをやっていたときは、腰のキレが重要だと先生から習いました。

以下、分かりやすい動画です。

 

さて、体の力を抜いてナイハンチを行うとわかるのですが、

サンチンのような立ち方で、腕を横に出したり、前に出したりすると、

その腕の重さにより、体を安定させようとして、腰が反作用を生むような方向に動きます。

細かく説明すると、例えば前方に突きを出す場合、突き出す拳と同じ側の腰が同時に前へと動き出し、腕が伸びきる瞬間に腰だけ引き戻して、その反作用で体を安定させています。(少なくとも私はそういう身体操作を使っています)

この腰の動きがあることで、歩幅が狭く、つま先が内向きで不安定な立ち方でも、素早く突きを打つことができます。

↓「腰の引き戻し」の参考に。これはかなりやりすぎだと私は思っていますが、似たようなものです・・。

かなり強調しているところを見ると、この会派の動きの根幹なのでしょう。

以上のように、腰のキレが重要だという一例を挙げました。

しかしここでまた疑問が生じます。

腰を引き戻す動作は、体を安定させる為であって、突きの威力とは関係ないように思います。

実際に、サンドバッグを突いたり、またはミットを持ってもらい、それを突いたとき、私の場合は、腰を入れて突きます。このとき腕が伸びきる瞬間に腰を引き戻すと、手打ちのようになってしまいます。これは何度も試しましたが、どうしても威力が上手く出せません。

伝統派空手を習っていたときは、突くよりも早く引け、と言われましたが、これは相手に掴まれないようにするためだと教わりました。

また別の先生からは、素早く引くことで、相手に衝撃波が伝わる、とも教わりました。

これについてですが、私の胸を実際に打ってもらって確かめましたが、何も伝わりませんでした。もちろん、私も十分にはじき返そうと万全の体勢を取るのですが、衝撃波が伝わってくるのであれば、私が万全であろうと無かろうと、威力が伝わってこなければおかしいはずです。

むしろ、もっと筋力のある人に突いてもらう(どついてもらう!)ほうがよっぽど効きます。

いろいろ書きましたが、まとめますと、

いわゆる糸洲系のナイハンチを行うと、腰を引き戻さないと体が安定しない、と言うところがおかしいと思えるところです。

その腰の動きは、威力のためらしいですが、それにしてはさほど威力がない、と言うところが、ますますおかしいと思う所以です。

松村系ナイハンチを検証

腰の引き戻しは、動きのキレを良くするため、という理由も考えられます。

確かにこれを行うと、素早くキレのある動きに見えます。

ですが、これにも疑問があります。

型を演武するときには、動きが派手な為、キレが強調されていますが、腰の引き戻しをしなくても、立ち方を変えるだけで、しっかりと安定したキレのある動きが、実は出来てしまいます。

と言うわけで、松村系のナイハンチ屋部憲通のナイハンチを検証してみましょう。

前述した5つの違いを検証するまでもなく、ただ一点、立ち方だけで、全てが変わることが分かります

ここで、本部朝基の著述「私の唐手術」より引用します。

腰に力を入れ、足は乗馬するが如く、両脚の外側より中の方へ、力を締込むような心持ちで踏み張る、前述の通り、八文字型に変化したるを見よ、足の間隔は、一尺五寸位とす。

「本部朝基と琉球カラテ P22 第三図 解説文より」 岩井虎伯著 愛隆堂

とあります。

これは松村宗棍から教わったナイハンチの立ち方だと思います。

本文中では、

「松村翁や佐久間翁などは、只足を八文字に開く丈けで力を取る様に教えられていた。」(中略)松村翁は、「糸洲の亀小型では、実際に立ち合う場合には、頗る危険で、すぐに倒されてしまう」との御話であった。

と、このように記しています。

つまり、糸洲系の立ち方は間違いで危険である、ということを、再三、書いているのです。

ちなみに本部流のナイハンチはこれ。

この動画を見ても分かるとおり、腰の引き戻しはやっていません。

これをまねしていろいろとやってみたところ、一つ気付くことがありました。

小林流のナイハンチを、この立ち方で行ってみると、面白いことに、腰が動きません。

腰に力をいれて動かないようにしているわけではなく、もともと腰に力があり、とても安定感があるため、この状態だと腰が動かないことがわかります。

ですから、わざわざ腰を引き戻すような動作をして、安定させようとしなくても良いわけです。

その証拠に、鉤突きでも、諸手突きでも、ナイハンチ三段のように正面に突きを出しても、腰の引き戻し動作は起こりません(もしくは起こりづらい)。

さらに、屋部憲通の写真にあるように、四股立ちのような立ち方でも行ってみましたが、

これも松村系と同様、とても腰がしっかりとし、腰の引き戻しは起こりません。

松涛館の鉄騎の歩幅で行えば、もちろん、腰の引き戻し動作は起こりません。

ですが、あれだけ歩幅が広すぎると、本部朝基の言う「両脚の外側より中の方へ、力を締込むような心持ちで踏み張る」ことは出来ず、ただ足裏と床との摩擦で留めるのみです。

ナイハンチの技というよりは、股関節のストレッチと、腿の筋トレという意識のほうが強いでしょう。少なくとも私はそう思っています。

(この意見、松涛館をやっている人なら、あるあるだと思うのだけれども・・・。)

 

ナイハンチをもし自分が使うなら・・・

沖縄のシーサー
Image by kadoyatakumi on Pixabay

ナイハンチについての検証、というか、実際に試した私の感覚での感想でした。

私ごときで大変恐縮ですが、とりあえず結論を出します。

前述のように、4種類のナイハンチを試しました。

1:伝統派空手の鉄騎(松涛館系やその他)

2:知花朝信(糸洲系)

3:本部朝基(松村系)

4:屋部憲通(松村系だが四股立ち)

今まで私がやって来た、伝統派空手の鉄騎(松涛館系)、知花朝信(糸洲系)に比べて、

本部朝基(松村系)、屋部憲通(松村系だが四股立ち)の立ち方で行ったほうが、明らかにやりやすかったです。

分解についても、松村系のほうが、あまり何も考えず、そのまま使えるように思います。

ナイハンチは鍛錬型だとよくいわれますが、松村系のこの立ち方なら、実戦型といえるでしょう。

それくらい、使い方が分かりやすくなります(私の感想です)。

私は糸洲系のナイハンチを長年練習してきましたが、自分の正直な感覚からすれば、本来のナイハンチは、実は松村系ではないのか?と今回の検証では思っています。

いろいろ書いてきましたが、最終的には、自分が動きやすいかどうかだと、私は思っています。

私は25年以上、空手に取り組んできましたが、特にナイハンチ(糸洲系)に関しては、これだけやっても全く意味が分からず、こじつけのようなやり方しか聞いたことがありませんでした。

立ち方の違いだけで、ここまで変化するとは、実は今まで思っていなかったところがあります。

それに「今までやってきた(糸洲系の)ナイハンチが全てだ!」と思いたい節も自分の中でありました。

今回この記事を書くことで、再びナイハンチに正面から向き合い、これだけの検証、考察ができたことは、大変面白く、興味をかき立てられるものでした。

 

まとめ

以上、本当のナイハンチはどれだ!?ということについて書きました。

ナイハンチには、大きく分けて2種類、更に分類すると4種類あると書きました。

1:伝統派空手の鉄騎(松涛館系やその他)

2:知花朝信(糸洲系)

3:本部朝基(松村系)

4:屋部憲通(松村系だが四股立ち)

私的には、3、4がやりやすく、松村系が本来のナイハンチではないか、と結論づけました。

全て私の独断によるところなので、万人に共通するものではありません。

あくまで参考と言うことで、お願い致します。