
空手の型を練習する意味はなんでしょうか?
空手に取り組んでいるのであれば、たぶん間違いなく、空手が強くなりたい、上手くなりたいと思い、練習していると思います。
それでは、空手の型を練習することで、本当に空手が強く、上手くなるものなんでしょうか?
初心者だけでなく、空手に取り組む人でさえ、そういった疑問を持つ人は多いと思います。
本来、空手の型は、各自の練習したいことを設定し、型の中から動作を選び出して反復練習したり、約束組手等で対人稽古をしたり、各々空手の型の中にある技を身に付けていくことを目的としています。
型をはじめから最後まで通す中で、気になるところは反復し、出来ているところも深く掘り下げ、自分が納得いくまでいろいろと考えながら稽古できるところが、型稽古の面白さであり、最大の魅力でしょう。
ここでは空手の型について、いろいろと書いていきながら、空手の型を練習する意味を探っていきます。
これから空手を始める方に向けて、流派に関係なく書いています。
最後までお付き合いください。
目次
1:空手の型の種類は?

空手の型の種類は、ここで全て取り上げるのも難しいほど、多くの種類があります。
同じ名前でも、各流派によって動作が多少違ったり、型の意味も違ったりしています。
ここで全ての流派の型を網羅してもあまり意味がありませんので、そこはご自分でネット検索してください。
とりあえず、ウィキペディアには「空手の型の一覧」として名前が網羅されています。
これら全ての型の名称を知っているだけでは全く意味がありません。また、全ての型を練習することは、出来ないとは言いませんが、あまり意味のあるものではないと思います。
各流派の指導内容にしたがって、その流派の型を順次学んでいくことが大切です。
2:空手の基本型とは?

空手の各流派には、基本の型と呼ばれるものが存在します。
沖縄三大流派を例に挙げると、
上地流や剛柔流であれば、三戦、
小林流(松林流、少林流など)では、ナイハンチ、
がそれぞれ基本型と言えるでしょう。
三戦やナイハンチは、この型の中に全ての動作が含まれ、これだけやれば他は必要ない、と言い切る空手流派もあるほどです。
動作が少なく、簡単に覚えられる型ですが、型の意味は、基本から応用まで幅広く解釈される、奥の深い技の集合体であるとされています。
また、それぞれの流祖や代表者が、基本型・普及型と言ったような型を、独自にいくつか創作しています。
突き、受け、蹴りの簡単な動作を繰り返し、まっすぐ進んで、また帰ってくるという、直線的な演武線だけで構成された単純なもので、初心者でも直ぐに覚えられ、突き蹴り、移動基本などが身に付く型です。
これらについても、ここで詳しく書く必要な無いでしょう。ネット検索すれば、動画も多数あります。いろいろ見比べて、やりたい空手の型を教えているところへ入門すればよいでしょう。
どこの道場でも、段階に応じて指導していただけるものと思います。
3:空手の型の意味は?

空手の型の意味は、もちろん、空手の攻防を覚えることにあります。
空手の型の場合、ピンアン(平安)のように、前後左右に満遍なく動くものもあり、偏り無く攻防動作を身に付けることが出来ます。
また、古伝の型では、もっと難易度の高い技や、危険な急所攻撃なども入っており、実戦を想定した、より効果的に人体を制する方法を練習出来ます。
型稽古を行うときは、ある程度筋力も使いますし、スピードをつけたキレのある動作も要求されます。そのため、筋肉、関節、骨に適度な負荷を掛けることができ、運動能力を向上させることが出来ます。
また、型稽古を繰り返すことで、結果、強い精神力、集中力を養うことも出来ます。
細かい型の動作にもそれぞれ意味があり、また実力の段階に応じて、同じ型でも取り組み方を変えます。
ですから知っている人からちゃんと教わらないと、いつまでたっても初心者用の動きしかやっていない、と言うことにもなりますし、初心者なのに、上級者用の動きをやっているといった勘違いも発生します。
ようは指導者側の問題なのですが、そういった問題を回避するために、事前にその指導者が、1:いつ、2:どこで、3:誰に、4:何を、5:どこまで習ったか、の5つの項目を調べておくと、道場選び、指導者選びで失敗しないと思います。
4:空手の型の練習方法は?

空手の型の練習方法は、実力段階によって異なっています。
空手の型の練習方法は、実力段階によって異なっていますので、初心者であれば、基本の型から始め、まずは各動作を覚えていきます。
動作を完全に覚えてから、徐々に力を入れて、スピードもあげ、力強さとキレのある動きを練習していきます。
一通り、型全体を通して、それぞれ注意する点を意識することなく出来るようにしていきます。
注意点は実力によって、または個人によって違ってきますので、自分の内面に没頭する稽古になります。
空手は本来、戦場で使う為のもの
空手は本来、戦場で使う為のものですから、通常、武器は持っているのが当然です。
沖縄空手には武器術があります(古武道、古武術といいます)。武器を使うための運動能力を身につけるためにも、空手の型は役に立つでしょうし、また、武器が手元に無かった場合に何とか戦える手段としてもちろん徒手空拳の技は必要不可欠です。
命がかかっていますから、必死で身につけるわけです。
戦場の武術、これが本来の空手の姿でしょう。
ですから、空手を稽古するときは、本当に相手に止めを刺すやり方を学んでいくことになります。
それはたとえ競技空手であったとしても、フルコンタクト系の空手であったとしても、型試合専門に練習していたとしても、組手試合だけ練習していたとしても、つまりいかなる空手の稽古であったとしても、これは大変重要な考え方です。
本当に止めを刺すなんて、大変危険な考え方に思えますが、空手を取り組む上では、これがもっとも重要になります。
武道を習得するものとして、目を背けてはいけない大切な側面です。
もちろんこういった危険な技は、何年も空手を練習した人で無い限り、教えてもらえるものではありません。その人の人柄も大きく関係してきますし、指導者側の力量も問われます。
流派を問わず、各道場で子供が空手に取り組む場合、危険な技は一切排除した形で指導されているでしょう。少なくとも、中学校を卒業するまでは、そういった危険な技法は教えてはならないと私は思っています。また、そのような指導を望んでいます。
空手の型の練習過程
空手の型の練習過程を解説します。
初心者は、体の動きを作る為に、まずは基本の型に取り組み、空手独自の動き方を、順次身に付けていきます。
立ち方や、移動の方法、突き蹴り、投げ技等の基礎を学んでいきます。
今ではどの流派も取り入れているピンアン(平安)ですが、これは大変優秀な型だといえます。なぜなら、ピンアン(平安)五段を習得する頃には、もう上級の型(クーサンクー、観空、パッサイ、抜塞)は直ぐに覚えられるようになるからです。
予断ですが、
ピンアン(平安)を作った糸洲安恒(いとすあんこう)は、このピンアンを作ったことで、「空手を踊りに貶めた」と云われています。なぜなら、命を掛けた戦いの術を、体育の型に改変したからです。
ですが、体育の型に改変したことで、子供でも取り組むことができるようになり、授業として、一度にたくさんの人に教えることが可能になりました。
また、ピンアン三段までやればパッサイ(抜塞)が、ピンアン四段までやればクーサンクー(観空、公相君)が割りと直ぐに覚えられるほどになってしまいます。
高度な技を含む古伝の型が、子供でも覚えられるほどになってしまうのです。これは特筆すべきことだと思います。
今日の空手の世界的な広がりは、このピンアン無くして語れません。
さて、ここまでくれば、基本型から古伝の上級の型まで、空手の型は一通り覚えられることになります。
ピンアン(平安)を終わった後か、もしくはピンアンと古伝の型を弊習しながら、今度は具体的な型の使い方を学んでいきます。
型の使い方は、流派によって、または指導者によって解釈がさまざまですが、そこはあまり問題ではありません。指導者のやり方を見て、自分でもやってみて、出来ることを身に付けていけばよいのです。
ある程度の使い方を教わり、練習していけば、後は独自でいろいろと発見できるでしょう。思わぬ使い方を見つけることもあります。
「型は武器の宝」と言われるのはそのためです。
まずは、いくつかの使い方を知り、約束組手(対人稽古)で間合いや感覚を身につけ、実際に使うときの力加減や技のスピード感を体感できます。
それをまた型稽古で思い返し、型の練習の中で、力加減やスピード感を復習します。
こうすることで、本来の型の使い方を、自分の型稽古の中に落とし込んで行き、空手の型をより充実させていくことが出来ます。
つまり、型稽古をより良くしていくためには、対人稽古による約束組手が必須で、これは車輪の両輪のようにたとえられます。どちらも空手の上達には必須の条件です。
空手の自由組手について
空手の自由組手は、本来であればほとんど行われません。というか、行えません。
理由は簡単で、上記のような練習を日々していると、組手を行った場合、危険な技法が使われた場合、大怪我に繋がるからです。もし同じ実力者同士が自由組手をした場合、お互いが組手に白熱したとき、とっさに出た危険な技を、途中で止めることは難しいことです。ですので、通常、自由組手は行われません。
ですが、最近では防具の研究、開発により、より安全に自由組手が行えるようになりました。
約束組手のときにも、こういった防具を使用し、至近距離から本当に急所に打撃を入れて練習することも可能になりました。やはり時代は進んでいきますね。
ルールを作って、技を加減してやるよりも、防具をつけて実際に当てることで感覚を身につける練習をすることを、私としてはおすすめしています。
こういった過程で空手に取り組み、年数を重ねていくことで、技が深い段階まで身につき、自らの技にも余裕が出てくるようになってきます。
こうなってくると、少し手を合わせるだけで、相手の実力がなんとなく見えてくるものです。
ここまで来ると、実際の場面(喧嘩等、本来あってはいけませんが・・)でも加減が出来るようになってきます。
そのまま使えば相手に大怪我をさせることが出来る空手ですが、そこまで使わなくても、その手前で十分に実力を示せるほどの腕前になっていると言うことです。
空手の型で強く、上手くなるか?
空手の型を練習することで、強く、上手くなることはできるか?という問いにおいては、半分YES、半分NOという答えになると思います。
型稽古をするだけでも、攻防の形を体に覚えこませることができるため、とっさの動作で型が出てしまうこともあります。
ですが、相手を突いたときに正しく拳を当てられるか、とか、
相手の攻撃を受けるとき、力まず、弱すぎず、上手く受けることができるか、とか、
攻撃を捌くとき、相手との間合いが見切れているか、とか、
実際に相手がいないと身に付けることが出来ないことに関しては、どうしても組手の稽古が必要となります。
型稽古だけですと、技が通用せず独りよがりになり、
組手だけですと、技が身に付かず攻防が単調になります。
ですからやはり、空手の型を練習することで、強く、上手くなることはできるか?という問いにおいては、半分YES、半分NOという答えになると、私は思います。
空手に取り組む意義とは?
前項で、空手を稽古するときは、本当に相手に止めを刺すやり方を学んでいく、と前述しましたが、
本当に相手に止めを刺すやり方を普段から学んでいるからこそ、どこまで技を使えば相手がどうなるのか、身を持って知ることが出来ます。もしそれが分からなければ、相手の攻撃に対して、ただひたすら必死に対処しようとするばかりになってしまいます。
相手に止めを刺すなんて、今の時代かなり危険な考え方でしょうが、それが分かるからこそ、手加減が出来るのです。
空手の練習を通して、その技を我が身でも受けたことで、その痛み、危険性を知ることができます。
どこまで技を出せば相手がどうなるか、身を持って知っているわけです。
たとえ不意の場面に遭遇したとしても、そう考えられることで余裕が生まれ、そんな自分を自覚出来るようになったとき、それが「自信」となっていきます。
その自信は、意識していなくても、自然と体からあふれ出てくるものです。
自信に満ち、自然体でいられるその姿は、不思議と接する相手にも伝わります。
むやみに肩で風を切って歩き、他人を威圧する態度を取っていたとすれば、それは自分の弱さ、自信の無さの裏返しだったことがわかります。
空手を学ぶことによって人格形成がなされる、とよく言われますが、このようなことを表現しているのではないでしょうか。
これは空手に限りませんが、一つのことを貫き通して身に付けたことは、そのまま自信に繋がります。
自信という漢字は、自らを信じる、と書きますし、もっと細かくすると、「自・人偏・言」ですから、自分のことを人に言う、とも言います。
つまり、今まで自分が空手で行ってきたこと、身につけてきたことを、今度は人に言う、番です。
そこで身につけた自信は、さらに人生を充実させてくれることでしょう。
まとめ

ちょっと大げさな結論になってしまいました。
こんな心境になるまで、人それぞれですので、何年掛かるか分かりません。
私事で恐縮ですが、私は今のところ、道場を持ち指導する立場になりましたが、師匠やたくさんの先輩たちのお陰で、道を間違えることなく、ここまでやって来られています。
自信に満ちた毎日を送っていると言えるほど、人間ができていませんが、それでも、空手をやっていなかったあの頃に比べると、それなりの自信を手に入れたと思っています。
私を見本にする必要は全くありませんが、これを読んだあなたも、空手を通して、何か一つでも有意義なものを手に入れることが出来れば、と思っています。
これから空手を取り組む上で、参考になれば幸いです。
なんだかまじめな内容になってしまいました。
以上です。